産業心理学における文化的な要因

産業心理学における文化的な要因

産業心理学(Industrial psychology)とは、産業活動全般を対象に人間の行動や心理を科学的に研究する応用心理学の一分野です。この分野では、産業活動における人々の行動や思考に「文化的な要因」がどのように影響するかも重要なテーマです。本稿では、いくつかの例を挙げて、産業心理学における文化的な要因の影響、そして文化的な要因を検討するときの注意点についてお話しします。

稲作と麦作の違い:働く現場のルールから社会的規範へ

「産業」という言葉を聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは自動車、家電、鉄鋼などの「製造業」や「工業」に関わる大量生産のイメージが強いかもしれません。同じように、「産業心理学」と聞くと、上記の職場や企業内での人間関係、働く人々のモチベーション、ストレス管理、リーダーシップなど、働く現場における心理的側面を思い浮かべることが多いでしょう。
しかし、農林水産業も重要な「産業」の一つです(1)。これらの「産業」は千年以上に存在し、その働く現場で作ったルールや規範は、社会の規範と慣習に浸透しています。例えば、中国での先行研究によると、稲作の地域で生活している人は麦作の地域の住民とくらべて、より相互依存的(集団や社会とのつながりを重視し、社会的な調和を大切にする)であり、より全体的(holistic)な思考を持ち、地域社会における社会的規範もより厳格である傾向があります(2)。

従来の知見では、災害、戦争、病原体の流行など歴史的・環境的要因が規範の厳格さにどのように影響しているかを検討し、特に先進国・都市化が進んだ地域ほど規範が厳格である傾向があることを示しています(3)。しかし、中国で経済的状況と気候がほぼ同じで隣接している10の県から数千人の漢民族を対象に調査と実験を行った結果、経済的な要素や流行病などの要因をできるだけ統制しても、地域間で大きな差が見られました。この結果を受けて、研究者は新たな仮説を提唱しました。それは近代化されるまで稲作労働は麦作とくらべ、より他者との協力や相互の調整が必要とされたため、稲作の地域では、より強い相互依存的な価値観と厳格な社会規範が形成され、近代化・都市化が進んだ現代においてもその影響が残っている、というものです(2,4)。

深センと広州の比較:地域コミュニティの歴史と伝統の影響

文化的な要因の影響を検討する際に重要なポイントの一つは、文化的な要因は人の成長と共に長い時間をかけて徐々に影響を及ぼすという点です。
例えば、大阪出身の人が札幌に移住した後、急に北海道の慣習を理解することは困難です。このように文化的な要因を考える際に、同じ対象(個人・集団・社会など)を長期間にわたって追跡し、時間の経過に伴う変化を観察・分析する縦断的な研究を行う必要があります。
もう一つの例として、中国で行った戸籍所在地以外に通勤している労働者のメンタルヘルスに対する影響要因を調査した結果があります。広州では、職場ストレス、コミュニティに対する信頼感、生理的健康状態がメンタルヘルスに影響を与えていることが明らかになりました。一方、深センではコミュニティに対する信頼感がメンタルヘルスに有意な影響を及ぼしていないことが示されました(5)。この二つの都市はいずれも経済発展が進んだ広東省に位置する港湾都市で、製造業(自動車と電子機器)、情報・通信業、観光・飲食サービスが盛んな在住人口1700万人以上の巨大都市です。
では、なぜ深センで働いている地方から通勤している労働者に、コミュニティに対する信頼感とメンタルヘルスの間の関係性が見られなかったのでしょうか。その一つの可能性は、深センと広州の地域コミュニティの構成が違うことです。深センの在住人口の約半数が地方からの転入者(6)に対して、広州の場合その割合が約25%です(7)。さらに、深センは1980年代まで小さな集落で、ここ数十年で急速に発展してきた都市に対し、広州は三国の時代から発展してきた都市です。したがって、「深センの住民の多くは新たに移住して来た人々であり、地域コミュニティの結束が比較的緩やかである」と解釈できるかもしれません。

まとめ

ビジネスや組織の規模の成長と共に、管理者・従業員・顧客の文化的な背景も多様になり、産業心理学の研究を行う際に、文化的な要因を考慮する必要が生じる場合があります。但し、前述のように文化的な要因を検討する場合、長期かつ大規模な研究になる傾向があります。そのため、研究計画を立案する際に、文化人類学、社会学、歴史学などの多くの分野の知見を参考にすることが重要です。例えば、「雇用形態」を従業員のメンタルヘルスの影響要因として考える場合、日本では正社員と契約社員などの区別がありますが、中国では民間企業の従業員は基本的に契約社員にあたりますので、「雇用形態」が要因にならない可能性があります。

また、文化的な要因を考える際には因果関係、特に真の影響因子の確認がとても重要です。文化的な要因の影響を実証実験で検証、再現するのは非常に困難です。例えば、前述の稲作と麦作の影響を調べるために、新しい土地を開拓し、それぞれの農業形態の集落を作り、数十年後に集落間における社会規範を比較する実験はほぼ不可能です。その代わりに、伝統的に稲を作る日本と韓国で中国の稲作地域と類似する厳しい社会規範が見られ、麦作のイスラエルとベネズエラにおいて中国の麦作地域と同じく相対的に緩い社会規範が見られることは、研究結果の再現性を示す証拠となります。そこで重要なのは、これらの国や文化圏の違いをできるだけ検討し、「農作に必要な社会的規範」という共通の影響因子を見出すことです。「文化が違う・似ている」という表面的な違いや共通点だけでは、科学的な根拠に基づいた解釈とは言えません。

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引用文献

  1. 日本標準産業分類
    https://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/sangyo/R05index.htm
  2. Talhelm, T., Zhang, X., Oishi, S., Shimin, C., Duan, D., Lan, X., & Kitayama, S. (2014). Large-scale psychological differences within China explained by rice versus wheat agriculture. Science (New York, N.Y.), 344(6184), 603–608.
    https://doi.org/10.1126/science.1246850
  3. Michele J. Gelfand et al., Differences Between Tight and Loose Cultures: A 33-Nation Study.Science332,1100-1104(2011).
    https://doi.org/10.1126/science.1197754
  4. Talhelm, T., & English, A. S. (2020). Historically rice-farming societies have tighter social norms in China and worldwide. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 117(33), 19816–19824.
    https://doi.org/10.1073/pnas.1909909117
  5. Wei Liu, Ziwen Luo, Zhen Ouyang, Senbin Yang, Yongen Pan, Shiqi Chen, Rong Wu. Influencing Factors of Migrants’ Mental Health: A Case Study of Guangzhou and Shenzhen[J]. Tropical Geography, 2022, 42(12): 2042-2051
    https://link.oversea.cnki.net/doi/10.13284/j.cnki.rddl.003591
  6. 深圳外来人口组成及占比数据
    https://population.gotohui.com/list/159575.html
  7. 羊城晚报•羊城派. 详解广州人口变化:每2个常住人口中,就有一个“过江龙”
    https://ycpai.ycwb.com/ycppad/content/2021-05/18/content_40018411.html
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