動けば脳が変わる!:運動が脳に与える影響

運動が健康に良いことは広く知られていますが、実は脳の機能にも深く関わっていることをご存じでしょうか? 私たちは日々の生活の中で多くの情報を処理し、意思決定を行い、問題を解決しています。これらの認知機能は、単に知的な活動によって鍛えられるだけではなく、身体を動かすことによっても大きく影響を受けるのです。運動は単なる身体的な健康維持の手段ではなく、脳の健康や認知機能の向上にも大きな影響を与えることが分かってきています。本コラムでは、運動が脳や認知機能に与える具体的な影響、運動を日常生活に取り入れることで得られるメリットについて解説していきます。
運動と記憶力の向上
運動は単に筋肉や心肺機能を鍛えるだけでなく、脳の構造や機能にも変化をもたらします。
神経科学の研究によると、有酸素運動が脳の構造を変化させ、認知機能を向上させることが示されています。Ericksonらの研究では、週3回の有酸素運動を行った高齢者のグループは、有酸素運動をしなかったグループに比べて、記憶機能を司る脳領域である海馬の体積が増加し、記憶テストの成績が有意に向上したことが報告されています(1)。この結果は、有酸素運動によって海馬の神経細胞が新しく作られ、新しい情報の処理と記憶の形成が促進されたためと考えられています。運動によって脳の血流が増加することで、脳への酸素供給が最適化され、神経細胞の成長が促進されるという仕組みがあるようです(2)。
最新の研究では、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの2024年の50~83歳の成人を対象とした研究において、中強度から高強度の運動によって、翌日の作業記憶とエピソード記憶の両方が向上することが報告されました(3)。また、2025年の研究では、およそ500名程度の高齢者を対象とした30年間にわたる長期調査から、50歳以前から月1回以上の運動をしている人は、70歳時点での海馬の体積が大きく、認知症のリスクが低下することを報告しています(4)。
これらの研究からは、運動がもたらす認知機能、特に記憶機能への効果は一時的なものではないということが分かります。継続的に運動を行うことで脳の適応能力が高まり、長期的な神経可塑性が促進されます。神経可塑性とは、脳が新しい情報を受け取り、学習し、適応する能力を指します。運動はこの神経可塑性を強化し、新しい神経回路の形成を助ける役割を果たすのです。
運動とストレス軽減・メンタルヘルスの向上
運動は脳内の神経伝達物質の分泌を促し、ストレスやメンタルヘルスの改善にも重要な役割を果たします。
運動によって脳内のドーパミンやセロトニンと呼ばれる神経伝達物質が増加し、ポジティブな気分の促進やストレスの軽減につながることが報告されています(5)。また、エンドルフィンの分泌も活性化され、運動後の「爽快感」や「幸福感」が得られます。ランナーズハイは、運動がこれらの神経伝達物質に与える影響の一例です。マラソンのように、持続的かつ中等度以上の運動によって引き起こされやすく、極度の幸福感を感じることが知られています。
また、多くの研究で、運動による不安やうつ症状などのメンタルヘルスの改善効果が示されています(6,7)。この効果はさまざまなメカニズムで説明されています。1つ目は、前述の脳内の神経伝達物質に関するメカニズムです。運動は脳内の神経伝達物質(セロトニンやエンドルフィン)のレベルを調整します。これらは「幸せホルモン」とも呼ばれ、気分を改善し、不安やうつ症状を緩和します。2つ目は、生理的ストレス反応の調整です。運動により、体のストレスに対する生理的反応が改善されます。これには、心拍数や血圧の安定化が含まれますが、自律神経系のバランスが改善されることにより、リラックス効果が生じ、不安やうつ症状が改善します。3つ目は、認知機能に関するメカニズムです。定期的な運動は認知機能を高め、不安やうつ症状に関連する思考パターンを中断するのに役立ちます。これにより、ネガティブな感情からの回復が早まるとされています。運動がメンタルヘルスに及ぼす効果を示した研究を一つ紹介しましょう。Babyak(8)らは、うつ病患者156名を対象に、運動療法と抗うつ薬(セルトラリン)の効果を比較する実験を実施しました。16週間の治療後、運動療法のみを受けたグループ、抗うつ薬のみを処方されたグループ、両方を併用したグループのうつ症状を比較した結果、全てのグループで症状の改善がみられました。さらに、6か月後の追跡調査では、両方を併用したグループの方が抗うつ薬のみを処方されたグループよりもうつ症状の再発率が著しく低かったことが確認されたのです。このことは、運動が長期的なメンタルヘルスの向上に寄与することを示唆しています。
このように、運動はストレスを軽減し、メンタルヘルスの向上、ひいては精神疾患のリスク低減にも貢献する可能性があるのです。
運動を日常生活に取り入れる方法
これらの運動の恩恵を受けるためには,日常生活の中で運動習慣を取り入れることが重要です。現代社会においては、健康リスクを高めるような長時間の座位行動が増えてきています(9)。短時間の運動が集中力や記憶力を向上させるといった認知機能にポジティブな影響を与えることが示されていますので(10)、少しの時間でも身体活動を増やしていくことから始めましょう。例えば、通勤時に一駅分歩く、エレベーターではなく階段を使用するなどの行動変容は、日常の運動量を増加させる効果的な手段です。スマートウォッチやフィットネスアプリの利用が、運動のモチベーション向上に貢献することを示す論文もありますから(11)、行動変容の一環として有効活用するとよいでしょう。特に運動不足の人は、10分程度のストレッチだけでも認知機能が向上するという報告もあります(12)。6ヶ月間、週1回のダンスを行った高齢者の認知機能が向上したという報告(13)や、普段の身体活動が少ない高齢者が8週間のヨガ実践によりストレス反応が緩和され、認知機能が高まったという報告(14)もあり、趣味の運動を楽しみながら、よい効果が期待できそうです。
まとめ
本コラムでは、運動が脳に与える影響について科学的な知見をもとに解説しました。運動は単に体力を維持する手段ではなく、認知機能の向上やストレスの軽減、さらにはメンタルヘルスの改善にも寄与することが明らかになっています。今後の研究によって、運動が脳に及ぼすメカニズムの詳細がさらに解明されることが期待されますが、現時点での科学的エビデンスを参考にして、今日からでも、日常生活や趣味で運動を積極的に取り入れ、脳の健康を高めていきましょう。
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引用文献
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