社会神経科学からみる心理的安全性:安心して話せる場はどう生まれるか

会議で「このアイデア、ちょっと違うかもしれないけれど話してみよう」と思ったものの、周りの反応が気になって口をつぐんでしまった経験はないでしょうか。一方で、「ここなら多少ズレたことを言っても大丈夫だ」と感じるチームでは、メンバーが自由に質問し、ミスも共有しながら議論が深まっていきます。この「安心して話せる感じ」は、組織心理学では「心理的安全性」と呼ばれ、学習やイノベーションの土台になることが数多くの研究で示されています(1)。では、なぜ人はある場面では安心して話せて、別の場面では黙り込んでしまうのでしょうか?本コラムでは、社会的な行動を、その基盤となる脳のはたらきと合わせて理解しようとする科学的アプローチである「社会神経科学」の視点から、心理的安全性を考えてみたいと思います。「やさしくしましょう」というスローガンだけではなく、わたしたちの脳が「ここは安全だ」と判断する条件を、科学的にひもといていきます。
心理的安全性とは何か
心理的安全性は、ハーバード大学のエドモンドソンによって定義された概念で、「対人リスクを取っても対処され、罰せられないという、チームに共有された信念」を指します(1)。ここでいう“対人リスク”とは、例えば次のような行動です。
- 分からないことを質問する
- 自分のミスや失敗を率直に共有する
- 多数派と異なる意見を述べる
- 状況をよくするための提案をする
心理的安全性が高いチームでは、メンバーはこれらの行動をしても「バカにされない」「評判が落ちない」と感じています。その結果、エラーの報告やフィードバックのやり取りが活発になり、チームとしての学習行動が増えることが示されています(1)。また、多くの研究で、心理的安全性の高いチームほど、イノベーション、サービスの質、顧客満足度などが高いことが報告されています(2)。つまり、「安心して話せる場」は、単に“居心地がよい”だけでなく、業務の成果にも直結する重要な土台なのです。
心理的安全性を支える脳と身体のメカニズム
心理的安全性は、気持ちだけの問題ではなく、脳と身体の「安全・脅威システム」がどのように働いているかと深く関係しています。社会神経科学の研究から、いくつか重要なポイントを見ていきましょう。
- 社会的な脅威は「痛み」として感じられる
人間にとって、他者から拒絶されたり、評価されたりすることは、大きなストレス要因です。脳研究では、いじめや仲間外れといった「社会的な拒絶」を受けた時、身体的な痛みを感じた時と同じ脳領域(前帯状皮質や前部島皮質)が活動することが分かっています(3、4)。
また、脅威に敏感に反応する扁桃体は、身体的な痛みだけでなく、「他人から否定的に評価されるかもしれない」といった社会的な脅威にも反応します(5)。会議で発言しようとしている時に、「こんなこと言ったら笑われるかな」と感じるとき、脳内ではこの“社会的な痛み・脅威ネットワーク”がうっすらと動き出しています。つまり、心理的に安全でない場では、脳は「ここは危険かもしれない」と判断し、自分を守るために沈黙を選びやすくなるのです。 - 安全だと判断できると、前頭前野が働きやすくなる
一方で、「ここでは多少の失敗や異論も受け入れられる」と感じられる場ではどうでしょうか。このような場では、扁桃体などの脅威システムの活動が落ち着き、意思決定や自己制御を担う前頭前野が働きやすくなります(5、6)。前頭前野がしっかり働いている時、わたしたちは次のようなことが行いやすくなります。- 相手の立場に立って考える
- 一瞬カッとなっても、言い方を選び直す
- 「どうすればよくなるか?」と建設的に考える
心理的安全性が高い状態とは、単に「怖くない」状態ではなく、脳の中で“脅威システム”が静まり、“協働・学習のためのシステム”が働きやすくなった状態だと言えます。
- 自律神経系と「社会的な安心感」
安全/脅威の評価は、脳だけでなく自律神経系にも反映されます。ポージェスのポリヴェーガル理論では、人は周囲を無意識に“安全/脅威”として評価しており、安全な環境では、脳と自律神経系がより「社会的関わりモード」へ移行しやすいとされています(7)。また、この理論では、心拍変動(Heart Rate Variability: HRV)が高い時ほど、副交感神経が優位になり、落ち着いた状態で他者と関わりやすくなることが示されています(7、8)。実際、高いHRVを持つ人ほど、他者の表情や感情を読み取る力が高いという研究も報告されています(9)。これは、「自律神経が落ち着いている時ほど、周囲の人と柔軟にコミュニケーションを取りやすい」ということを示しています。心理的に安全な場では、一人ひとりの自律神経系が脅威モードから社会的な関わりモードへと切り替わりやすくなり、結果として対話が生まれやすくなります。
「安心して話せる場」をつくるチームの条件
では、実際の職場で「心理的安全性が高いチーム」をつくるには、どのような条件が必要なのでしょうか。ここでは、社会神経科学の知見と組織心理学の研究を踏まえて、いくつかのポイントを紹介します。
- 目的と役割を明確にする
人は、何を期待されているのか分からない状況を脅威として感じやすいことが知られています(6)。逆に、「このプロジェクトの目的は何か」「自分はどの部分を担当しているのか」が明確だと、前頭前野が状況をコントロールしている感覚を持ちやすくなり、脅威システムが静まりやすくなります。会議の冒頭で「今日のゴール」と「一人ひとりに期待している役割」を簡潔に共有することは、脳にとっての“安全宣言”にもなります。 - ミスや疑問を「学びの素材」として扱う
エドモンドソンの研究では、心理的安全性が高いチームほど、むしろエラー報告数が多いことが示されています(1)。これは、ミスが多いからではなく、「起きたことを隠さず共有できる」文化があるからです。ミスをしたメンバーに対し、叱責ではなく「何が起きたのか一緒に整理しよう」「同じことを防ぐにはどうすればよいだろうか」と丁寧に対話する。このような経験を重ねることで、「ここでの失敗は、脅威ではなく学びにつながる」と脳が学習し、脅威システムの過剰な反応が弱まっていきます。 - 「聞き方」が場の安全感を左右する
同じ内容を話しても、「ちゃんと聞いてもらえた」と感じるかどうかで、心理的安全性の体感は大きく変わります。相手の話を遮らずに一度受け止める、相手の言葉を言い換えて確認する、うなずきや相づちで関心を示す。こうした基本的な傾聴の態度は、相手の自律神経系を通じて「ここは安全だ」と感じやすい状態をつくると考えられます(7、9)。表情や声のトーンなど、非言語的なサインも重要です。「否定していないつもり」でも、腕組みをしてしかめ面で話を聞いていれば、相手の脳は“社会的な脅威”として受け取ってしまいます。 - チームの「一体感」をつくる
複数人の脳活動を同時に測るハイパースキャニング研究では、授業中に生徒同士の脳波が同期している状態になると、授業へのエンゲージメントや教師・クラスメイトへの好意が高くなることが示されています(10)。また、チームで課題に取り組む場面でも、メンバー同士の脳活動の同期度が高いチームほど、問題解決のパフォーマンスが高いことが報告されています(11)。こうした「脳の同期」は、単に仲が良いから起きるのではなく、共通の目標に向けて注意がそろっていることや、相手の発言にしっかり注意を向けていることと関係していると考えられています(10、12)。心理的安全性の高いチームでは、一人が発言している間も、周囲のメンバーが「次にどう攻撃しよう」ではなく「どう理解し、一緒に考えよう」と注意を向けています。その積み重ねが、脳レベルでの一体感を育てていくと考えられます。
生体計測から見える心理的安全性の可能性
心理的安全性は本来「主観的な感覚」ですが、社会神経科学の知見を活用することによって、その一部を客観的にとらえることも可能になりつつあります。ここでは、いくつかの例をご紹介します。
- 心拍変動(HRV)による「場の落ち着き」の評価
先ほど触れたように、HRVは社会的な関わりやすさと関連しており(7〜9)、会議中やワークショップ中のHRVを計測すると、「どのコミュニケーション場面で緊張が高まり、どの場面でリラックスしているか」を客観的に把握できます。例えば、発言者が変わるタイミングで参加者全体のHRVが大きく下がっているとすれば、「この場面では評価への不安が強くなっているのかもしれない」といった仮説が立てられます。逆に、小さな失敗談を共有するセッションでHRVが上がっているなら、「お互いの弱さを出し合える安心感」が育っている可能性があります。 - 脳活動・脳波から見る「一体感」
ポータブルな脳波計を用いたハイパースキャニングでは、チームメンバー同士の脳の同期度を計測できます(10〜12)。例えば、グループディスカッション中の脳活動から、- メンバーの注意がバラバラになっていないか
- 特定の人だけが話し、他の人は“心ここにあらず”になっていないか
- 心理的安全性の“見える化”に向けて
主観的なアンケートだけでは、「本音が言えていない人」の存在に気づきにくい場合があります。生体信号を活用した“見える化”は、チームの安全性を脅かす「小さなストレスの積み重ね」に早めに気づき、対話を改善していくための補助線になり得ます。
例えば、
